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小説

イザナギ小説|第二部

第一章 二つめの名前

辺境の小さな村に、四人の子供たちが迷いこんできた。すり切れてぼろぼろの布を身にまとい、泥と垢で顔は真っ黒だ。獣のような臭いもする。用心深く周囲を警戒するそのぎらついた目つきも、傷だらけのやせこけた体も、まるで野生の獣を思わせた。

一番大きな少年は村につくなり力尽きて倒れ、そのまま眠ってしまった。残る三人もかろうじて目は開けているものの、消耗しきった様子だ。

いったいこの子たちはどこからやって来たのだろうか。

村は四方を深い森に囲まれ、森には凶暴な怪物どもが生息している。忍術使いでなければ大人でも立ち入ることのない危険な一帯を、こんな小さな子供たちだけでどうやって越えて来たのだろう。女の子もいるし、とても小さな男の子もいる。この子たちの足ならば、一番近い村から最短ルートを通ったとしても、ゆうに三日はかかったに違いない。

しかし、そんなことが可能だろうか?

村人たちは、まだ意識のある三人の子供に、どこから来たのか、名前は、年齢は、とあれこれ尋ねてみたが、彼らは何も答えず、ただじっと口をつぐんだままだった。

子供ながらに隠しておきたい事情があるのだろう。村人たちはそれ以上はもう何も訊かず、急ぎ用意したにぎり飯を三人に与えた。三人ともがつがつと食べはじめたが、ある程度空腹がおさまると、こくりこくりと首が垂れ始める。

大部屋の女将や、和紙職人の女たちが、湯で温めた手ぬぐいでこびり付いた汚れを拭いてやると、子供たちの目はもうほとんど閉じてしまった。一番小さな男の子は、うつぶせに寝かせて背中を拭いてやると、ぐうぐうと寝息をたてはじめた。もう仰向けにしても横向きに転がしても、顔をゴシゴシとこすっても、まったく目を覚まさない。世話をしているおばさんたちも笑いながら、小さな少年をころころと転がして、できるだけ汚れを落としてやった。

集会所の小部屋に四組の布団を敷いて、その上に子供たちを転がすように寝かせると、彼らはもうピクリとも動かず、ぐっすりと深い眠りについた。

親と喧嘩でもしたのだろうか。感情にまかせて近隣の村を飛び出したはいいが、森は想像以上に過酷だったに違いない。むしろ大きな怪我もせず、よくここまで無事にたどり着けたものだと村人たちは感心した。

とりあえず親が迎えに来るまでは、この子たちを集会所で預かることにしようと村人たちは決めた。

子供たちはその日は一度も目を覚ますことなく、翌日の昼過ぎまで眠り続けた。一番大きな少年にいたっては、その次の日も眠り続け、ようやく目を覚ましたのはそれから三日後のことだった。



村人たちは当初、子供たちの迎えはすぐに現れるものだと思っていたが、翌日になってもその次の日になっても、誰も迎えには来なかった。眠り続けた一番大きな少年がむくっと起きあがり、ガツガツと驚くほどのにぎり飯を平らげたが、彼もやはり名前や年齢、どこから来たのかという質問には答えようとしなかった。

こうして五日が経ち、一週間が過ぎたが、子供たちの迎えは現れなかった。問い合わせすら一件もこない。こちらから近隣の村に報せを入れてみたが、該当するような行方不明となった子供たちの情報は何ひとつ得られなかった。範囲をもっと広げて遠方の村にも尋ねてみたが、結果は同じだった。

これはいったいどういうことだろう。

この子たちの親はなぜ捜しに来ないのだろうか。

十日目になると、村人たちは集会所の広間に集まって話し合った。これはさすがにおかしいだろう。あんな小さな少年や女の子もいるというのに、問い合わせすらないのはどういうことなのか。

村人の一人が難しい顔で言った。

「もしかしたら、あの子たちは親と一緒だったのではないか。だが森で怪物に襲われて、はぐれてしまったのかもしれない」

「親だけ亡くなったということか?」

「もしそうだとすれば、子供たちが親について黙っている理由はない。むしろはぐれてしまったのならば、捜してほしいと頼むはずだ」

「あの子たちは森に捨てられたのではないか?」

「……捨てられた?」

確かにそれは考えられる。何も答えたくない理由もそれならば納得できる。

だが、あの子たちは互いに似ているわけではない。兄妹でないとすれば、それぞれ別々の親が彼らを同時に捨てたことになる。それはあまり現実味のある話とは思えなかった。

子供たちの世話をしている和紙職人の一人、カミラが慎重に言葉を選んで子供たちに尋ねてみた。

「あなたたちは森でお父さん、お母さんとはぐれたの?」

この質問に対しては、二番目に大きな少年が首を横に振った。

「違います」

そうはっきりと声に出して言った。

「だったらあなたたちは、家出をしてきたのね?」

カミラがさらに訊いてみたが、この質問にはまた口を閉ざしてしまった。



子供たちの体調は日ごとに回復していった。よく食べてよく眠る。一番小さな少年も、その小さな体の割には驚くほどよく食べた。肌つやも戻ってきて、すり傷もほとんど消えて目立たなくなった。

体調面は順調に回復していったものの、女の子はよっぽど怖い思いをしたのか、今でもちょっとした物音にもビクリと反応したり、体を縮こませたりする。そしてときおり理由もなく涙を流すのだった。

村の女たちも、彼女にはことさら気をかけた。寺子屋に連れて行って、村の子供たちに会わせてみたりもしたが、彼女は人見知りで、打ち解けて話したり遊んだりすることはなかった。木細工の玩具をさわらせたり、おはじきで遊んでやったりもしたが、彼女がもっとも興味をしめしたのは、和紙の工房に連れて行ったときのことだった。紙を作るさまざまな工程の手作業を、彼女はひとつひとつ興味深そうに、いつまでも静かに見つめていた。



子供たちのふざけ合う声も聞こえるようになったが、彼らはそんなときでも慎重で、決して互いの名を呼びあうことはなかった。たった一度だけ、一番小さな男の子のことを「豆坊」と誰かが呼んだだけだった。

村人たちは呼び名がないのも不便なので、体の大きな順に、「一番っ子」、「二番っ子」と呼ぶようになった。番号で呼ばれるのが嫌で何か呼び名を教えてくれるかと期待したが、彼らは番号に素直に反応した。少女のことは「お嬢ちゃん」とか「女の子」と呼び、豆坊のことは聞いた通り、「豆坊」と呼んだ。



こうしてひと月が過ぎようとしていたある日、一人の若い忍術使いが遠征から戻ると、興味深い報告をした。

その忍術使いは、東に遠く離れた平原で、多くの捜索隊の姿を見たという。

それは「大きな街」と呼ばれるブリックウォールタウンから派遣された貴族直属の捜索隊で、彼らは街を脱走した養護施設の子供たちの行方を追っていた。

子供たちの数は全部で四人。街を脱走したのは、今から半年以上も前のことだという。

捜索隊の一人は「もう、これだけ時間が経ってしまえば、子供たちが生きて見つかる可能性はかなり低いだろう」と語った。だが貴族が捜索の中止を命じない限り、捜索隊は活動を続けねばならず、現在もさまざまな地方に派遣されているらしい。

村人たちは、この報告をどう受け止めていいのかわからなかった。半年も前に四人の子供たちが大きな街から脱走した。だがその子たちと、街からはるか遠く離れたこの辺境の村にいる四人の子供たちが同じであるはずがなかった。

半年にも及ぶ期間を考えても、旅をしてきた距離を考えても、小さな子供たちの移動できる限度をはるかに越えている。豆坊や、泣いてばかりいるあんな繊細な少女もいるというのに、危険な森や平原を、彼らは半年以上もかけて旅してきたというのか? そんなことができるとは到底思えなかった。

村人たちは子供たちがこの村にやって来たあの日のことを思い出した。確かにぼろぼろの状態だったが、近隣の村から二、三日かけて森を越えてきたことすら信じられなかったのだ。それが、今の話ではさらに距離と時間が数十倍にふくれあがってしまっている。

もう少し詳しい情報を集めようと、村人たちはブリックウォールタウン近郊に遠征している忍術使い数人と連絡を取り、急ぎこの件についての詳細を調べさせた。



数日後、新たに得られた情報に、村人たちはさらに困惑させられることになる。

貴族が発行した捜索手配書を中心に、判明した事実が手短にまとめられた。

養護施設で暮らしていた一人の少女が、ワイザー議員という貴族の養子になることが決定した。だが引き渡される当日未明に、少年二人が少女と小さな男の子を連れて街を脱走した。

その際、少年の一人がワイザー議員を襲い、議員の片目を潰すという凶悪な犯行に及んだ。連れ去られた少女を含む子供たち全員が現在も広域捜索対象となっており、うち凶悪な犯行に及んだ少年については、当初、逮捕状が出されていたが、現在これは取り下げられている。厳罰に処す考えはないので、該当者を見つけ次第、すみやかに引き渡すよう捜索手配書には追記されていた。

犯行を行った少年は数日間は保護観察となる見通しだが、その後は施設で今までと何ら変わりなく暮らせることを保障する、と記されている。これはおそらく、どこかに匿っている者がいるかもしれないと考えての処置だろう。情報提供に対する報酬も、この手の捜索案件としては破格のものだった。

貴族のワイザー議員は独身だが、少女を正式に養女として迎え入れる手続きを済ませており、現時点では親権を持つ法律上の親であり、少女の唯一の保護者にあたるという。

捜索手配書には貴族らしく、「少女および、少年たちを匿う行為は犯罪で、それが発覚した場合、厳罰に処せられる」との脅し文句も記載されていた。

この件に関連して、街ではすでに取り壊しが決定していた養護施設の存続を決めており、少女以外の少年たちについては、この施設で今までどおり暮らしていけるという。



報告がすべて終わったあとも、しばらくは誰も何も言わず、集会所の広間は重苦しい空気に包まれた。

ブリックウォールタウンを脱走した四人の子供というのは、おそらくあの子たちのことだろうと、今ではここにいる誰もが思っていた。もちろん現実的にはありえない距離と時間を彼らは旅してきたことになる。年齢的にも体力的にも不可能といっていい旅だが、近隣の村からの問い合わせもなく、子供たちが何も事情を説明したがらない理由も、今の報告を聞けば納得できる。

この村と大きな街とでは、あまりにも距離が離れすぎているため、これまでは捜索の手が及ばなかったのだろうが、今後のことについてはわからない。

村人たちはこれからどうすべきかを、話し合うしかなかった。

少なくともブリックウォールタウンに確認を取ってみるべきではないか、という意見も出た。法律上の親権を持つ者がいる以上、何らかの確認を行うのが筋ではないかという意見だ。

だが一度でも確認をしてしまえば、もう子供たちは貴族の手によって街に連れ戻されてしまうだろう。

「手配書には都合のいい言葉が並べられているが、貴族のことだ。あの一番っ子は間違いなく厳しい罰を受けるだろう」

「命を落とすことになるかもしれんな」

「奴らならやりかねん」

「だとしたら、村でこの先もあの子たちをずっと匿いつづけるのか?それは道義上、問題があるのではないか?」

議論はぐるぐると堂々巡りを続けた。誰もが納得いく結論に達することなく、時間ばかりが過ぎていった。

子供たちは半年も命がけで逃げてきて、ようやくこの村にたどり着いたのだ。そこには逃げてきた彼らなりの言い分があるに違いない。子供たちをなんとか説得して、彼らの意見を聞いてやるべきだろう、と村人たちは考えた。

最終的な判断を仰ごうと皆が村長のモリスの方を見たが、モリスはじっと目を閉じたままだった。何かを深く考えているようにも見えるし、ただ眠っているだけのようにも見える。体がゆるやかに揺れているからだ。

重苦しい沈黙が流れたが、ガラッと扉が開いて、大部屋の女将が入ってきた。

「夕飯ができたから呼んでるんだけど、子供たちの姿がどこにも見当たらないよ」



「しまった……!」

部屋にいた村人たちは一斉に立ち上がって、飛び出した。

これだけ大勢の大人たちが集まって、不穏な話し合いを続けているのだ。子供たちが何も勘付かないはずがなかった。

警鐘が村全体に鳴り響き、多くの忍術使いたちが手分けして四方の森へと走った。

日が暮れていて辺りは薄暗くなっている。森の中ならばもう真っ暗なはずだ。

怪物たちの遠吠えが響く森に、いくつもの松明が揺れた。

子供たちを呼ぶ声が村の方々から、そして森の中からも無数に響いた。



幸い、事態は思いのほか早く収束した。日付けが変わる前に、子供たちが森の岩場に隠れているところを数人の忍術使いが発見した。怯えて泣く少女の声を聞いて忍術使いたちが駆けつけたのだ。


挿絵

少年たちは、朝までにもっと遠くまで逃げるつもりでいたが、二番っ子と呼ばれている「神童」は、今回の逃走が以前のようにはいかないだろうと、森に入ってすぐに気づいた。

少女の足取りが重く、ずっと震えていたからだ。手をつないでやると、その手はじっとりと汗ばんでいて、目に涙をいっぱいためていた。

少女を背負ってでも先へ進もうとする「悪童」に、「ひと晩だけここで過ごそう。その先のことは明日の朝になってから決めよう」と「神童」は必死に説得した。

彼女を連れてこれ以上先に進むのは、もう限界だと思ったのだ。あの長くて過酷な旅が、彼女の心に大きな傷を負わせてしまったらしい。森の中にいるだけで今の彼女はこんなにも怯えてしまっているのだ。

泣き続ける少女を見ながら、何とかあの村で暮らしていけないだろうか、と神童は思っていた。ひと月ほど過ごしただけだったが、あの村のことがみんな好きだった。

彼女も村人たちに、特に和紙職人たちに心を許しているのがわかった。長いあいだ暮らしていた大きな街でも、彼女が大人たちに馴れることなど一度もなかったというのに。

四人一緒に、あの村で暮らせないだろうか、と神童はもう一度思った。

「悪童」は忍術使いたちに発見されたとき、かなり抵抗して暴れた。長い棒をぶんぶん振り回したりもしたが、大人の忍術使いたちは、落ち着いて彼を取り押さえた。

「神童」はそのあいだもずっと泣き続ける少女の背中をさすっていた。

「もう大丈夫だよ。村に帰ろう」



一番っ子がナイフを一本、長い棒と握り飯を七つ所持。

二番っ子が忍術使い用の森の地図と握り飯を四つ所持。

少女が握り飯二つと、水筒を所持。

豆坊が小さなこけしを一つ所持。


一番っ子だけは暴れ続けるので、縄で縛られて村まで担ぎ込まれてきたが、それを解いてやると、大人たちに向かって一気にまくしたてた。

「あの貴族はな、あのワイザーという腐れ貴族はな、本当にクズの悪人で大馬鹿者のヘンタイ野郎だから、俺は絶対に彼女を奴の手なんかに渡さないぞ!絶対だからな!」と叫びまくった。

村人たちはこの手の付けられない少年を、だが微笑ましく思った。怒る気になどなれなかった。彼は自分のことよりも少女のことを考え、長い長い道のりを傷だらけになりながら逃げてきたのだ。大人でもなかなかできることではなかった。

忍術使いたちは、子供たちを守りぬいたこの凶暴な少年を、頼もしいとさえ思った。

モリスも吠え立てる少年の姿を見ているうちに、めずらしく笑みがこぼれた。そして、それぞれの子供たちの様子をゆっくりと眺めてから、口を開いた。

「おもしろいのう。村で育てればええじゃろう」

このひと言ですべてが決まった。

養子縁組をした貴族には伏せて、四人の子供たちを村で育てることに決めたのだ。

この決定に、大部屋の女将や世話をしていた女たちも手を叩いて喜んだ。

助役の一人が子供たちに最後の意志確認をした。

「もしも貴族の捜索がこの村に及んだとしても、我々は村ぐるみでお前たちを隠し通す。捜索に来た者らを追い返すことになるが、本当にそれでいいんだな?」

少年たちがこくりと頷き、少女も泣きながらうんうんと頷いた。

「ふむ。まあ、用心するに越したことはないじゃろう」とモリスは言った。

「おぬしらは、今日から新しい名前で暮らすのじゃ」

モリスはそう言うと、懐からなにやら古くて怪しげな帳面を取り出し、ぺらぺらとめくっていった。ふむふむ、うむうむと頷いたり首を傾げたりしながら、子供たちの新しい名前を決めていった。

忍術使いの一人は、子供たちの顔を見てにやりと笑った。

「いいなあ、お前たちは。二つ名を持つ者なんて、忍術使いの中でも長老会の爺さまたちだけだぞ」

子供たちは嬉しくて、与えられた新しい名前を何度も何度も口に出して呼び合った。

そして互いに呼び合ううちに、これからこの村で生きていくのだと実感した。

「マックス……。今日から俺はマックス」

一番っ子と呼ばれていた悪童は、その夜遅くまで、何度も何度も新しい自分の名前を呼び続けた。他の子供たちも、新しい自分の名前を気に入り、何度も何度も呼び続け、やがて疲れて眠ってしまった。

今夜の就寝はかなり遅く、もう空が明るくなりかけていた。



マックス、シェイド、マヤ、MB。

こうして彼らはこのオルド村で、新しい名前で生きていくことになったのだ。


ただし、MBだけはまだ何もわかっていない様子で、他の子供たちからも、まわりの大人たちからも、その後も長いあいだ「豆坊」と呼ばれ続けた――

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第二章 まだふさわしい年齢に達しておらん

オルド村の朝は早い。和紙職人たちが早朝から活動を始め、あちこちの工房から煮熟(しゃじゅく)の湯気があがる。

忍術使いたちも、遠征に出る者は暗いうちから準備を始めて出発し、近郊で修行する者も空が白みはじめると山に登ったり、森を駆け抜けたりして体をほぐす。

そんな村の生活に馴れるにつれて、四人の子供たちも自然と朝が早くなった。

はじめのうちは届けてもらっていた朝食も、今では四人で大部屋まで行って食べている。大部屋は、外から修行に来る若い忍術使いたちのための無料の宿だ。

朝食のあとはもう夜までたっぷりと自由な時間が続く。

遊んでいてもいいし、和紙の工房に入ったり、忍術使いの修行を眺めていても構わない。村の中なら、どこを歩き回るのも自由だった。

大きな街では、施設の敷地から外に出ることすら禁じられていたのだ。小さな建物と小さな中庭、それが彼らに許された行動範囲のすべてだった。あの窮屈な暮らしに比べれば、ここは信じられないほど広くて自由だ。自然も多い。村人たちも親切で、子供たちにも気さくに声をかけてくれた。

四人は毎日毎日、日が暮れるまで夢中で遊んだが、マックスはだんだんそんな生活に物足りなさを感じ始めていた。

オルド村は和紙と忍術の村。周りを見れば忍術使いだらけなのだ。

忍術を学べば強くなれると聞いた。四人で旅をしていたときのように、あんなにがむしゃらに叩きまくらなくても、もっと楽に怪物どもを倒せるようになるらしい。

そんなに強くなれるのなら、なんとしても忍術を学びたい。マックスはそう思った。

だが村の決まりでは、修行は十五歳になってからでないと始められないという。

マックスはやりたいと思ったら今すぐ始めないと気がすまない性格だ。決まりはどうあれ、もう我慢できず、忍術の師範でもあるモリスの元へ走った。

「俺も忍術の修行がしたい!」

「ならん。十五になるまでは、忍術の修行は始められんのじゃ」

モリスはあっさりと首を横に振った。

「俺はどうしても今すぐ忍術使いになりたいんだ。俺に忍術を教えてくれ!」とマックスは食らいついたが、モリスはただ首を横に振るばかりだ。

「言ったはずじゃ。忍術の修行は十五からじゃ。十五の誕生日まで待て」

「待てん!」

こんなやり取りがその後、毎日のように続いた。断られた次の日も、マックスは懲りずにやってくる。

「俺にも修行をさせてくれ!」

「ならん」

「なんでだ!」

「昨日も、その前の日も言ったはずじゃ。十五になるまで待て」

「待てん!五年も待てるか!アホか、五年なんてどんだけ長いと思ってんだ!」

「五年なんてあっと言う間じゃよ」とモリスはにこにこして言った。

「ふざけるな!ジジイふざけるな!今すぐ教えろ!」

「ならん」

「なんでだ!」

「忍術の修行は十五からじゃ。十五の誕生日まで待て」

「待てん!」

モリスは嫌な顔もせずに、この堂々巡りに付き合った。

「待てるか!俺は勝てるぞ!あんな青っちろい十五よりもぜんぜん強いぞ!」

「それでも、ならん」

「もったいぶりやがって、このクソジジイ!」

マックスの悪態はひどくなる一方だったが、モリスは咎めることもせず、腹を立てる様子もない。そのうち目を閉じると、もう石のように動かなくなった。

「おい、勝手に寝てんじゃねえぞ、ジジイ!」

モリスに声が届いているかどうかもあやしい。どんなに大声で叫んでもモリスは微動だにせず、本当に眠っているようにしか見えなかった。

マックスは村にいる大人の忍術使いにも頼んでみたが、彼らの答えはどれも同じだった。

「師範に許可をもらってからだ」

マックスの怒りの矛先は、とうとう修行を始めたばかりの若い忍術使いたちに向かった。

「おい、そこのお前!忍術使いなら、俺と勝負しろ!」

マックスの悪童ぶりは忍術使いの間でもすっかり有名になり、「奴の挑発には乗るな」とわざわざ新人忍術使いたちに通達されるほどだった。

マックスにしてみれば、いくら弱そうに見える奴でも、ただ十五歳になっているというだけで堂々と修行が許されているのが納得いかなかった。

「おい、お前!そこの青っ白いの!俺を殴ってみろ!おい、聞こえてるか?無視するな!」

「おい!俺が怖いのか?お前なんかが修行したって、俺にはかなわないぞ!おい!」

「悔しかったら俺と勝負しろ!お前みたいなハナタレの拳、俺はまったく怖くないぞ!」

道ゆく新人忍術使いたちにかたっぱしからケンカをふっかけていると、一人の体格のいい若手の忍術使いが怒鳴った。

「おい、さっきからうるせえぞ、このクソガキが!」


挿絵

タツジという十代後半の若者で、外から修行に来る者の中には、時々こういう荒っぽいのが混じっていた。タツジはかなりの問題児で、仲間数人とつるんで、気に入らない新人忍術使いを締め上げたり、力でねじ伏せて命令に従わせたりしていた。金銭をまきあげて問題になったこともある。

「それ以上うるさく吠えると、鼻っ柱をへし折るぞクソガキ!」

タツジと仲間が近づいてくる。彼らなら子供だろうが容赦なく痛めつけるだろう。

だがマックスは怯むどころか、挑むような目をして挑発した。

「へへ、やれるものならやってみやがれ、クソ野郎!」

タツジがつかみかかるが、マックスは身を翻して後ろに跳んだ。タツジがむきになってもう一歩追うが、マックスがするりとかわす。

タツジが目を細める。唇の端を曲げて気味の悪い笑みを浮かべると、持っていた小銭をマックスの顔面にバラッと投げつけた。マックスが一瞬たじろいだ隙に、思い切り踏み込んでタツジが跳ぶ。マックスの反応が遅れ、気付くと背中にタツジが回っていた。

ハッとしたマックスが身を低くして攻撃をかわそうとするが、タツジは彼の首根っこをつかんで、そのまま地面に叩きつけた。

ドパッと鼻血が噴き出す。

「どうした?泣いてもいいんだぞ」タツジは嬉しそうにそう言って、朦朧として立ち上がれないマックスの顔に唾を吐いた。

ああ、また唾かよ、とマックスはぼんやりとした頭で、腐れ貴族を思い出した。

タツジはもう一度マックスの首をつかんで引き起こすと、顔をぐいと近づける。

「おいクソガキ、ちゃんと謝れよ」

マックスは口をもごもごさせると、血の混じった唾をペッとタツジの顔に吐いた。

「この野郎!」タツジは激昂し、マックスの顔面を二発、三発と力いっぱい殴る。

三発目にマックスの意識が飛んで、ぐったりと地面に崩れるが、さらにタツジが思いきり蹴り上げ、ようやく仲間が止めた。

タツジはまだ怒りが収まらない様子で顔にかかった唾を拭く。

「今度見たら殺すぞ」と憎々しげに言うと、タツジは仲間たちと立ち去った。



運び込まれたマックスの手当てをしながら、大部屋の女将が怒って言った。

「まったく、子供相手にひどいことをするねえ!どこのどいつだい?」

マックスの団子のように腫れあがった鼻の周りにはぐるぐると包帯が巻かれていて、もう誰なのかもわからない。マックスは包帯に覆われた自分の顔がちょっとだけ面白かったが、女将は本気で怒っていて荒っぽい。

「痛い痛い!」とマックスが叫んだ。

「上に言いつけてやるからね!忍術使いは一般の人に手を出しちゃいけないんだよ!そんなこともわからない奴が修行をする資格なんかないよ!言ってごらん、どんな奴だい?」

マックスは、「忘れた」とぼそっと言った。

もちろんマックスは忘れていない。名前も顔の特徴もしっかり覚えている。やられたらやり返す。それだけは絶対に譲れなかった。



次の日、広場でタツジとその仲間を見つけると、マックスはこっそりあとをつけて彼らの泊まっている宿を特定した。夕方までにいろいろと動いて準備を整えると、マックスはその夜遅くに集会所を抜け出し、タツジらの宿へと向かった。腫れた鼻はまだぐるぐる巻きの包帯の下でジンジン痛み、ときどき無性にむず痒い。

塀を乗り越えて中庭に入り、庭に面した窓から宿の中へ侵入した。

階段を音を立てないようにそっと上がり、突き当りの部屋に入ると、タツジと仲間たちの寝息やいびきが聞こえてきた。

部屋の入り口近くに立ち、その寝息を聞いているうちに、だんだん目が暗さに慣れてくる。この部屋には四人が眠っていた。

仲間は見ていただけだから今回だけは大目にみてやろうか。だがそれも今回だけだ。

今度にやついたりしたら、こいつらにもきっちり礼をしてやる。マックスは彼らの寝顔を眺めながら、ゆっくりと用心深く布団のあいだを歩いて行った。

一番奥にタツジがぐっすり眠っているのが見えた。マックスは右手に持つ棒をギュッと固く握り直す。ちょうど手ごろな棒を今日かなりの時間を掛けて見つけてきたのだ。痛い目にはあわせたいが、殺してはいけない。微妙な加減を彼なりに考えて探し出した棒だ。

マックスはそれをゆっくりと頭の上まで持ち上げていく。

こいつは忍術使いのくせに小銭を顔に叩きつけるなんて卑怯な不意打ちをして、容赦ない攻撃を行った。そういう奴には不意打ちこそがふさわしい。マックスは心の中でそう呟くと、狙いを定めて一気に棒を振り下ろした。

ガツッ!手ごたえがジンと手に伝わる。それと同時に、ぎゃあああ!という叫び声があがった。

痛みに悶えるタツジと、その仲間たちが目を覚ます。マックスは、顔面を覆って立ち上がろうとするタツジに向かっていき、今度は棒を横向きに握りなおして思い切り振り抜いた。タツジの側頭部に命中し、タツジが悲鳴を上げてよろめきながら扉にぶつかって、そのまま廊下に転がり出るようにして倒れた。

それを見届けるとマックスはにやりと笑い、捕まえようと腕を伸ばす仲間たちの間をかいくぐって、窓から中庭へ飛び降りた。仲間の一人が血相を変えて追って来たが、マックスは素早く縁の下にもぐり込み、床下を這って宿の裏側へまわった。この逃げ道も昼間のうちに調べは済んでいる。床下から這い出ると、ひょいと塀を乗り越えて、彼は細道を集会所まで全力でつっ走った。

翌朝、鼻を腫らし、マックス同様、包帯で顔をぐるぐる巻きにしたタツジを大人の忍術使いたちがからかった。

「どうした?でっかい蜂にでも刺されたか?」

「卑怯な野良猫野郎が、夜襲をかけてきやがったんだ!」

叫ぶだけで鼻がズキンと痛み、涙が出そうになるが、そんなタツジの表情が一変する。

「お前……!」

マックスが他の忍術使いに混じって一緒に笑っていたのだ。

「おい、お前!!」タツジが興奮してマックスの元へ飛んでくる。

マックスはまったく悪びれた様子もなく言った。

「忍術使いのくせに、ぐうぐうよく寝るな」

「この野郎!」タツジがいきなり襲い掛かってきたので、マックスはさっと飛び跳ね、走って逃げた。タツジと仲間たちが狂ったように追ってくる。

マックスはある古い屋敷の床下へ飛び込んだ。タツジの一番足の早い仲間があとを追って潜り込んだが、すぐに大声で叫びながら転がり出てきた。顔は砂まみれで目があかず、額が切れて血がボタボタと流れ落ちている。

おそらくこの逃げ場も入念に準備されたに違いない。床下にどんな仕掛けが隠されているのか見当もつかず、狭い空間の中では体の小さなマックスの方が圧倒的に有利なはずだ。

タツジとその仲間たちが尻込みしていると、床下からマックスの声が響く。

「おい、どうした?早く来いよ!来ないなら、今夜も部屋に遊びに行くぞ!」



その夜、タツジと仲間たちは中庭で物音を聞くたびに飛び起きた。

小石が窓を打つと部屋を飛び出し、マックスの姿を探すが、どこにも彼の姿はなかった。部屋に戻ると布団の上に蛇やムカデが這っていた。その後も断続的に小石が窓を打ち、彼らは一睡もできずに朝を迎えた。

当然、体力を使う修行にも影響が出る。だが大人の忍術使いたちは、自業自得だとタツジたちに容赦なく通常の修行をさせた。

そして次の夜も中庭で何度も物音がし、天井裏からバケツの水が浴びせられた。

そんな夜が三日も続くと、さすがに修行どころではなくなった。タツジたちは、立っているのもやっとという状態だったが、これまで散々苛めてきた新人忍術使いたちがここぞとばかりに反撃に出た。集団で襲撃し、タツジたちに奪われた金品を奪い返した。もうタツジたちのグループを恐れる者は誰もおらず、むしろ格好の標的となった。

タツジの仲間が一人、また一人と脱落して村をあとにすると、タツジも後を追うように村から退散していった。

マックスはタツジが村を去ったと聞くと、がっかりした。この日の仕掛けもいろいろと練っていたからだ。

年配の忍術使いがマックスに言った。

「あいつらは問題児で、追放されるのも時間の問題だったが、お前もやりすぎだぞ」

「俺は何も知らないよ」とマックスはとぼけたが、その時ふと思った。

俺は何をしてるんだ?ああ、そうだ。修行を始めたばかりの少年忍術使いに戦いを挑み、そいつらを打ち負かして自分にも修行する資格があるぞ、とジジイに訴える作戦だったはずだ。

タツジへの復讐に夢中になりすぎて、ずいぶん寄り道をしてしまったことにマックスはようやく気付いた。忍術使いになる道はまったく近づいていないどころか、むしろ遠ざかってしまっていた。

タツジたちとの一件以来、こいつは本当に手に負えない厄介な奴だと忍術使いたちにも認識され、マックスの挑発にはもう誰も乗らなくなってしまった。

マックスは次の一手を考えるしかなかった。とにかく今すぐ忍術使いになるにはどうすればいいか。一晩ずっと考えて、今度はシェイドとマヤに協力してもらうことにした。



マックスは二人を連れてモリスのもとへ行き、その日は悪態をつかず、めずらしく下手にでた。

「こんにちは、モリス爺さん。今日は今までのことを謝りに来た」とマックスは言った。

「ほう、目的は何じゃ?」とモリスはのっけから怪しんだ。

「俺、これまで嘘をついてきたことを謝りに来た」とマックスは言った。

「ほう、どんな嘘じゃ」

「俺は年のわりに体がすごく小さくて、だから施設でも馬鹿にされたくなくて、本当の年が言えなかったんだ」

「ほう。で、本当は十五歳なのに、十歳と嘘をついていたと言うのか?」

図星だったのでマックスは一瞬言葉に詰まったが、平気なふりをして言った。

「そうだ」

シェイドもマックスに言われたとおり加勢して言った。

「はじめに嘘の年齢を伝えてしまったので、訂正する機会がありませんでした」

「ほう。おぬしは利口な奴じゃと思っておったがな。嘘はいかんぞ嘘は」

「嘘ではありません」

「すんません」とマックスは頭を下げた。

「ごめんなさい」とマヤまで隣で頭を下げる。

「そういうわけだから、今日から修行をさせてもらうぞ」とマックスは言った。

「ならん」とモリスは言った。

「やや、なんでじゃ!」

「おぬしはまだ十五になっておらんからじゃ」

「なっとるわ!じゃあ聞くがジジイ、証拠は?俺は何歳だ!言ってみろ!」

モリスはふうむ、とため息をつき、渋い顔で言った。

「右手をかしてみ」

マックスは用心深く、モリスの方へ右手を差し出した。

モリスはマックスの手を取り、目を閉じてその人差し指をゆっくりと撫でるようにさすった。そして一度、ゆっくり頷いてから目をあけた。

「おぬしは、十歳と九十二日じゃ。おぬしもかしてみ」と、モリスは今度はシェイドの手を取った。

「ふむ。残念じゃったの。おぬしは十歳と五十七日じゃ」

「はあ、なにを!おいジジイ!デタラメいうな!そんなインチキにダマされんぞ!」とマックスが叫んだが、シェイドはじっと黙って日にちを数えていた。

確かにその通りだった。合っている。自分は今日で十歳と五十七日だ。一日たりとも間違っていない。シェイドは驚いて自分の指を見つめ、そしてモリスの顔を見た。

――やはり、この爺さんは普通じゃない。

シェイドは前々からそれに気付いていたが、それが確信に変わった。恐る恐るモリスに訊いた。

「どうして……わかったんですか?」

この不思議な能力の正体をシェイドは純粋に知りたいと思った。

「おい!」マックスが真っ赤な顔をして唾を飛ばしながら叫んだ。

「なに言ってんだ!ダマされんなよ!このジジイは適当に言ってるだけだ!」

「どうして日にちまで正確にわかったんですか?」とシェイドはなおも訊いた。

老人は微笑んだまま言った。「樹木に年輪があるように、人間にもあるんじゃよ」

シェイドは自分の指先を見つめ、そっと撫でてみた。

「指紋ではないぞ。誰もが数えられるわけでもない。じゃが、ワシには数えられるんじゃよ」そう言って、老人はふがふがと笑った。

シェイドは真剣な目で、じっとモリスの顔を見つめた。もうマックスがわめく声も聞こえていなかった。



マックスは落ち込んでいた。あと五年も待てないし、待つ気もなかった。どうしても今すぐに忍術使いになりたいのだ。こうなったら強引にいくしかないと思った。俺だって忍術使いになれるってことを、ジジイにはっきりわからせてやると彼は思った。

マックスはさっそく準備に取りかかった。村をめぐり、いくつかの武器を調達した。

忍術使いたちは武器の管理には細心の注意を払っていたので、クナイなどがその辺に落ちていることはない。盗むしかなかった。それを竹の先に挟み、紐できつく縛って手製の槍を作った。タツジのときとは違って、今度は手加減はいらない。確実に殺せる武器を作るのだ。

マックスは完成した手製の槍を森の入り口近くの岩陰に隠した。

その夜は、わくわくしてほとんど眠れなかった。

隣りでずっと武者震いをする奴がいたので、シェイドも眠れなかった。マックスがまたなにか無謀なことを企んでいるのはとっくに気づいていたが、何を言っても無駄なことも知っている。

まだ暗いうちにマックスが、のそのそと布団から抜け出した。

「行くの?」とシェイドが背を向けたまま訊いた。

「ああ。誰にも言うなよ」

「いつ戻る?」

「さあな。明日か、もしかしたらあさって」

シェイドはため息をひとつつくと、もう何も訊かなかった。

「わかった。気を付けて」

マックスが集会所から出たとき、外はまだ薄暗かった。

だが宿のそばには、遠出をする忍術使いたちが何人も準備を始めていた。

マックスは彼らに気づかれないように慎重に物陰に隠れながら歩いて行き、隠していた槍を手に取ると、一気に森へ駆けこんだ。

不安に思う気持ちはまったくなかった。力があり余っていたので、とにかく全力で走った。興奮が抑えきれない。自然と笑いがこみ上げてきて、わああっと思い切り叫んだ。

やってやる。俺の本当の力を見せてやる!

マックスは何かの呪文のように、何度も何度もそう呟きながら森を駆けて行った。

デカい奴だ。とにかくデカい奴を仕留めてやる。そいつの腕でも持ち帰れば、さすがのジジイだって考えなおすはずだ。

そうだ、デカければデカいほどいい!

マックスは何かに取りつかれたように目をぎらつかせ、森の奥深くへと走っていった。

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第三章 穴を埋める男

森で息をひそめていると、無数の音が聞こえてくる。鳴き声や羽音、枝のしなる音。見上げると枝がまだ小刻みに揺れていて、何かの影が頭上を横切るのが見える。地面の落ち葉がカサカサと鳴り、茂みが揺れる。さらに集中して耳をすませば、茂みの向こうにいる怪物の息づかいまで聞こえてきた。

こいつらは、俺がここにいることに気づいているのだろうか、とマックスは思う。

数か月前、森や洞窟の中をただひたすら歩き続けていたとき、マックスの頭の中にあったのは、マヤと豆坊を守ることだけだった。自分とシェイドの二人で、なんとか幼い二人を安全な場所まで連れていく。ただそのことだけを考えていた。

マックスが先頭をいき、後方を見張りながらシェイドが最後尾を歩く。

空腹で歩けなくなる前に、殺せそうな怪物を見つけて、マックスは力いっぱい叩きまくった。何度も何度も棒を振りおろし、動かなくなるまで徹底的に叩き続けた。

だが、飢えをしのぐ目的以外で、すすんで怪物を攻撃したことは一度もなかった。普段は怪物たちをひたすら避け続けた。危険を回避するために、何日も四人で穴倉の中に隠れていたこともある。

あのときと今とでは、何もかもが真逆だ。今は自分からデカくて危険な怪物を探している。守るべき者がいないというのは、こんなにも身軽なものなのかとマックスは思った。自分一人なら何だってできる気がした。

森に身体が馴染むのを感じると、マックスはまた歩き出した。



太陽が真上に昇る前に、握り飯を二つ食べた。残りはあと五つ。水筒の水はさっき川で補給したばかりだ。暗くなる前に進めるだけ進んで、今夜のねぐらを探しておきたい。

だが、さらに二時間ほど奥へ進むと、突然何かが破裂するような大きな音が聞こえた。距離があるが、そうとう大きな音だった。マックスは昂ぶる気持ちを抑え、慎重に、だが急いで音のした方へと向かった。

太い枝がかなりの力でへし折られていた。その先に目をやると、大きな背中がゆっくりと向こうへ進んでいくのが見えた。かなりデカい背中だ。マックスは興奮した。こいつでいい、こいつを仕留めれば十分だ。今夜のねぐらを探す必要はなくなった。うまくいけば、暗くなる前に戻れるはずだ。

地響きをさせながら、ゆっくりと向こうへ歩いていくその巨大な背中を見ながら、マックスは少しずつ距離を詰めていった。

どう攻撃すればいいだろう。奴の真後ろから首の後ろを狙って槍を突き立てる。それを両手でぐいと力ずくで押し込めば、首の向こう側、喉のあたりまで貫くことができるはずだ。だが距離を縮めるうちに、思った以上にこいつが巨大なことに気づいた。


挿絵

太くて頑丈そうな胴体。背丈も見あげるほど高い。首の後ろなんてまったく届きそうにない高さだった。後ろから奴の固そうな体毛を掴みながら這い上がるか?

太股の後ろ、尻、背中、肩と一気によじのぼれば、首の真後ろまでたどりつくことができるだろう。だが途中で払い落とされてしまえば、終わりだ。

先回りして、高い枝か岩の上で待ち伏せてみてはどうか。槍を両手で握って奴の首の後ろを目掛けて飛び降りる。運がよければ首の真後ろに槍を突き立てることができるだろう。だが一寸の狂いもなく飛び降りるのはかなり難しそうだ。奴が通り過ぎるのをほぼ正面で待つのも危険すぎる。もし一度目を外したら、二度目のチャンスはあるのか。

マックスはいつになく慎重だった。怪物のあとを追いながら攻め方を考えるうちに、気づけば全身が汗でびっしょり濡れていた。

奴の足を何かで引っかけて転ばすことができれば、首が低い位置にきて突き刺しやすくなるはずだ。でもよく見ると、怪物の足は驚くほど巨大で、そして太い。筋肉質でとても硬そうだ。罠を仕掛けても、ツタを束ねたぐらいじゃプツンと切れるのがオチだろう。

だがこの時、ツタに絡まったのは怪物ではなくマックスだった。怪物の観察に集中するあまり、自分の足元をまったく見ていなかったのだ。ツタに足を絡ませ、おわっ!と声をあげて転ぶと、槍の尖端が岩に当たり、カキンと鋭い金属音を響かせた。

怪物が足を止め、さっと振り返る。その動作は想像していたよりもずっと俊敏だ。赤いひとつ目がぎょろぎょろっと動き、すぐにマックスの姿を捉えた。

「ひとつ目かよ……」

怪物が低い唸り声をあげ、やがて大きな雄叫びを上げた。

「ああ、うるさい、うるさいぞこの野郎!」マックスは耳をふさいで叫ぶが、いきなり怪物の太い腕が飛んできて、慌てて後ろに飛び退く。だがドーンと地面を殴りつけた衝撃が強すぎて、マックスはそのまま後ろ向きに転がってしまった。

体勢を整える間もなく、追ってきた怪物が、さらに腕を振り上げる。

よく見ろ、落ち着け、あの腕はどう動く、よく見ろ!

心臓がバクバク鳴っている。ほんの一瞬でも判断が遅れたら死ぬ。絶対死ぬ。かすってもダメだ。死ぬ。

右か左、どっちだ?

太い腕がブンと飛んできて、マックスは反射的に右へ飛んだ。

怪物がさらに前へ出てきたところを、マックスも向きを変えて踏み込む。前方へ転がるように怪物の懐に飛び込み、槍を思い切り真上へ向けて突き上げた。

グサッ、太股の内側か……手応えはあった。だが思った以上に硬い。力いっぱい押し上げるが、皮膚の奥までは届いていない。

怪物が怒りの雄叫びをあげ、興奮して激しく暴れだすと、槍はすぐに払い落とされてしまった。ああクソ、浅い!槍をもう一度拾えるか?

デカいのが雄叫びを上げながら興奮して突進してくる。回りこむのが精いっぱいで、槍は掴めない。デカいくせにこいつの動きはやたらと早い。

踏みつけてくる巨大な足をさらに横に飛んで避けるも、勢い余って転がる。デカい拳がまた振り下ろされ、地面を叩きつける。体をひねって間一髪避けたが、巨木を背にしてしまった。もう後ろの逃げ道はふさがれた。完全に追い詰められた形だ。真正面にデカいのが立ち、マックスを見下ろす。

もう逃げられない……。

ふいにシェイドの声を思い出す。

「いつ戻る?」

ああ、とマックスは思った。戻ることを考えとけって意味だったのか、あれは。もっとわかりやすく言えよ。

怪物が腕を振り上げたとき、マックスは思わず顔をしかめた。何やってんだ俺は。

そこいらのビンタが飛んでくるんじゃないぞ。痛いとかそんな程度じゃすまないぞ。なのにギュッと目をつぶり、頭を抱え込んで小さくなるだけかよ。

「何やってんだ俺は……」

だが巨大な拳に押し潰されるかわりに、ゴーン!と大きな衝撃を受けてマックスの背中が弾んだ。背中の巨木が揺れて、マックスは後頭部を強打した。

「痛てええ!!」

視界が揺らぐ。頭がズキズキする。怪物が倒れた?どうなってる?

俺の背中の巨木に、奴は頭を打ちつけたのか?

マックスは体を丸めていたから潰されずにすんだ。巨体がずれ落ちるようにして、いきなり目の前に倒れてくる。

視界は揺らぐし、頭の後ろがものすごく痛いし、木の上からは気持ちの悪い潰れた木の実の汁や毛むくじゃらの虫がたくさん降ってきたが、払い落とすことすらできないぐらい頭が痛い。視界がグラグラと歪み、吐きそうになるが、怪物が雄叫びをあげてまた立ち上がった。その後ろで何かが高く飛びあがるのが見えた。次の瞬間、デカい奴がまた倒れて今度は地面が揺れる。マックスの体も跳ね上がって転がる。

どうやら誰かが攻撃しているらしい。

これは、夢なのか、視界がどんどんぼやけてくる。

誰だあれは?ものすごく速いぞ。ああ、あれが本物の忍術使いか……。

怪物がおぞましい呻き声を上げ、もう一度立ち上がろうとするも、忍術使いのさらなる攻撃を受けて、今度は前のめりに突っ伏すように倒れた。その衝撃でまたマックスの体が宙に浮かび、そして落ちる。

デカい奴は今度こそ起き上がれない。マックスもぐったりと片方の頬が冷たい地面にくっついたまま動けない。

倒れて横向きになった赤い目がじっとこっちを見ている。だがその目から少しずつ光が消えていった。

「死にやがれ、ひとつ目野郎……」

マックスの意識も遠くなり、やがて視界が真っ白になった。


挿絵

ガツ、ガツと金属が土に当たる音がする。誰かが穴を掘っているのか?いや違う。埋めているらしい。俺を埋めるのか、とマックスはぼんやり考える。ああ、俺は死んだのか?いや死んでいない。ゆっくりと目を開ける。やっぱり死んでいない。男の背中が見える。この男が穴を埋めているのだ。

デカい怪物はもういないし、景色が違う。さっきとは別の場所に運ばれてきたらしい。

穴を埋めていた男が背中を向けたまま言う。

「ちょっと待ってろ。暗くなる前にやっちまうから」

何を埋めているのだろうか。この男がさっきの忍術使いなのか?

忍術使いの動きは、とにかく速かった。ものすごく速く、そして高く跳んだ。

マックスは起き上がり、ゆっくりと男に近づいていった。

村で何度か見たことのある顔だ。

「村から捜索隊が出たぞ」

男はようやくマックスの方を見て言う。浅黒い肌をした中年の男で、確かに村の忍術使いの一人だ。

「こっちも都合の悪い物をいろいろ隠してんだ。お前のせいで、また埋めなおしだ」

男はシャベルで土をすくい、穴へ放り込む。

マックスが穴の中を覗き込むと、穴の中にはブルーシートが敷かれていた。その下に白いビニールに包まれた何かが隠されているらしいが、それが何なのかはよくわからない。

「何を埋めてるの?」とマックスが訊く。

「機械だ。村では禁止されてる大型だからな。こうして森に隠してる」

よく意味がわからないが、マックスは黙って聞いていた。

「あちこち捜索されると厄介なんだ」

マックスはもう一度穴の中を見た。

「動力系は特にまずいが、俺はいつかこいつを動かすつもりだ。いいか小僧?お前は森を勝手にうろつくな」

マックスは不満そうに言った。

「デカいのを倒して、俺も忍術使いになるんだ」

「あいつはお前じゃ倒せねえ。見りゃわかるだろ」

確かにそうかもしれない。今の自分の力では無理だろう。

「俺だって忍術使いになれば……」

「それはお前とモリス爺の問題だ。俺に迷惑をかけるな」

「あのクソジジイは十五になるまで忍術は教えられんって、決まりだってそればっかだ」

「そんな決まりはねえよ。俺は十二で忍術使いになったんだからな」と男は鼻で笑った。

「お前らは街の奴らに追われてんだろう?まだ村の外に出てくれるなってことだ」

マックスは驚いて訊いた。

「決まりはない?十五からって決まりはない!?」

「ない」中年オヤジははっきりと言った。マックスの頭にカーッと血がのぼる。

「どういうことだよクソジジイ!だましやがったのか!」

「最近のガキは勉強して十四、五ぐらいから森に入るのが多い。だがそんな決まりはない」

マックスは握った拳をぶるぶる震わせた。思わず声まで震えてしまう。

「俺は強くなりたいだけなんだ……ジジイ……ひでえよ……」

マックスは目に涙をいっぱいためて言った。

「他には何にもいらん!俺は強くなりたいだけなんだ!」

それはあまりにもまっすぐな目だった。こんなに小さいくせに、こいつは忍術の力を本気で信じている。男はマックスの目をじっと見た。

俺も昔はあんな目をしていたのだろうか。

男はふいに思い出した。そうか、あの怪物か。長いあいだ思い出しもしなかったが、自分もあのデカいのと遭遇したときに、初めて人に助けられたのだ。

あの頃の自分は忍術使いになりたてで、まだ怖さの本質を知らない無謀なガキに過ぎなかった。

そのとき助けてくれた忍術使いが、いま小僧がさんざん不満をぶちまけているジジイ、モリスだ。

奇妙な偶然だと男は思った。そしてどういうわけか、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。

「お前はなかなかの馬鹿者だな」と男は言って、また穴を埋めはじめた。

マックスが涙を拭きながら訊いた。

「あんたの名前は?」

「トラヴィスだ」

男はそう言うとマックスにシャベルを渡した。

「お前も手伝え。暗くなる前に戻るぞ」

マックスはシャベルを受け取ると、もう何も言わず、黙って穴の中へ土を落としていった。



日が暮れてマックスが村に戻ると、助役や世話役のおばさんたちが駆け寄ってきて、ものすごい勢いで怒った。たっぷり十五分は説教されて、「もう二度と勝手に森には入りません」と立派な和紙に、筆で書かされた。



その夜は疲れてぐっすり眠り、翌日の昼前に起きると、忍術の修行が始まった。

なぜかシェイドとマヤも一緒だ。どうしてそうなったのか、マックスにはわけがわからなかった。突然、そういうことになったらしい。まだ頭が少し痛むから、思い出せないだけなのか、記憶が飛んでしまったのか……。

だが、とにかく忍術が習えるらしい。それならそれでいい。下手に訊いてモリス爺の気が変わってしまったら大変だ。マックスは何も訊かず、黙って言われるがままに従った。

もちろん十五になるまで修行はできないなどと、あんなにしつこく騙し続けたモリス爺に言いたいことは山ほどあったが、マックスはそれも我慢した。とにかくこの機会を逃すまいと、黙って忍術の修行を始めた。



トラヴィスがモリスに掛け合ってくれたのだと、マックスはかなりあとになって聞いた。

モリスは忍術使いとして、トラヴィスの腕を高く買っていた。だがこのところトラヴィスの最大の関心は忍術から別の物、文明憲章で禁じた過去文明の遺産に移りつつあった。

それが原因でモリスとトラヴィスは幾度となく衝突した。

どちらも言い分を曲げず、譲らず、議論は平行線をたどり続けた。

だが、そんなトラヴィスが、めずらしく頼みがあるとモリスに言ってきたのだ。

「あいつに忍術を教えてやってほしい」とその目は真剣だった。

きっかけは何であれ、少しでもトラヴィスの情熱が忍術に向くならばそれでいいとモリスは思った。

「おぬしも教えてやるならば、かまわんぞ」

「わかった」

あの子供嫌いのトラヴィスがそんな条件をのむなんて、と他の忍術使いたちも驚いた。

トラヴィスの教え方は、言葉が少なくぶっきらぼうだったが、余計なものが一切なく、いきなり忍術の本質に迫ってきた。経験の浅い若者にとっては、時に抽象的で、その意図を汲みとることが難しかったが、マックスにはトラヴィスの話が一番リアルで生々しく、頭の中にすっと入ってきた。

結局、トラヴィスは彼らに忍術の基礎を教えただけで、村から去って行った。

モリスと衝突し、もう関係修復は不可能なぐらい溝が深まってしまったらしい。モリスにしてはめずらしく激昂し、トラヴィスを忍術協会からも除名した。



トラヴィスは今、機械と一緒に森で暮らしている。

将来を期待された優秀な忍術使いが、道半ばで離れてしまったことがモリスには残念でならなかった。

だが、モリスは今でもときどき不思議に思い返すことがある。

他人のことなどまったく無関心なトラヴィスが、なぜあのときはあんな真剣な目で頼んできたのだろうかと。小僧に忍術を教えようが教えまいが、奴にとってはどうでもいいことだろうに。

この件だけは、モリスにとっていつまでも、もやっとした謎のまま残った。

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第四章 もう泣くのはおよし

街で暮らしていたころから、新しいことはいつもマックスが最初に始めた。できるかできないかなんて関係ない。彼はやりたいと思ったら真っ先に手をあげてすぐに始めた。

それに慎重なシェイドが続く。彼はどうすればうまくいくかをじっくり考え、頭の中に自分なりのイメージを描いてから手をあげた。

マヤはシェイドが手をあげるのを見たら、すぐに「私も」と手をあげた。

そうすれば二人と一緒にいられるからだ。

シェイドがいれば、なんとかしてくれる。これまでもずっとそうだった。

忍術をはじめる時も――マックスは熟睡していたが彼の参加は最初から決まっていた――シェイドが「やります」と答えたから、マヤも迷わず「私も」と手をあげた。

ずっと二人と一緒にいたい。それはこの村に来てからも同じだった。

だが、忍術の修行は今までのようにはいかなかった。

マヤと二人の少年とでは体力差が開きすぎていたのも一つの理由ではあったが、それ以上に深刻な問題がマヤ自身の中にあった。

今のマヤは、森に入ろうとすると緊張して体がこわばってしまうのだ。あんなに長いあいだ森や平原を子供たちだけで旅してきたというのに、なぜか今は森に近づくだけで気分が悪くなってしまう。森の入り口に立ち、森の奥を見つめていると、じっとりと手が汗ばんできて、息苦しくなってくる。足がすくみ、体が震えだし、もう一歩も前に進めなくなってしまうのだった。

どうしてだろう。何があったのだろう。マヤはいくら考えても理由がわからなかった。

夜、眠っていても森の気配が近づいてくるようになった。

気づいたらマヤは森に一人取り残されていて、慌ててマックスやシェイドを呼ぶが、返事はない。空気がひんやりと冷たくなっていく。まわりの植物がぐねりぐねりと生き物のようにうごめき始め、マヤは怖くなって逃げだすが、木の枝やツタがどんどん伸びて追ってくる。とうとう足首に巻き付かれ、ふくらはぎから太ももに絡みついたツタが這いあがってきて、全身をぎゅうっと締めつけてくる。叫ぼうとしても、大きな葉っぱが顔全体を覆ってきて息もできない。そのままずるずると森の奥深くへと引きずり込まれて、まわりがどんどん暗くなっていく。声が出ないのに叫び続けるマヤは、やがて真っ黒な穴の中に吸い込まれてしまうのだった。

マヤが飛び起きると、全身汗びっしょりで息も荒い。

シェイドが目をさまして手をぎゅっと握ってくれる。

「もう大丈夫。夢だよ」

マヤは何度も「森が、森が……」と言うが、うまく声が出せない。

「しばらく森に近づくのはよそう」とシェイドは言った。

マヤはただ頷くしかなかった。そして自分のだらしなさに涙がでた。森が怖いだなんてどうかしている。森が怖いのに忍術使いになんてなれるわけがない。

その日をさかいに、マヤは忍術の修行をやめた。森には一切近づかず、村の中で行う軽い練習にも二度と参加することはなかった。

二人が忍術を習っているあいだは、一人で部屋に閉じこもった。ときどき豆坊の相手をするぐらいで、あとはほとんど部屋から外へは出なかった。

一人でいると、じわっと涙があふれてきて、声を出さずに静かに泣いた。

そんな日が何日も続き、とうとう見かねた和紙職人のおばさんたちが声をかけた。

「マヤ、ちょっと手伝って」

最初は連れだす口実で和紙作りのちょっとした作業を手伝わせたのだが、マヤは次の日も、その次の日も手伝いにやってきた。

おばさんたちと一緒に紙を漉いているあいだは何も考えずにすんだ。時間が経つのも忘れて、マヤは無心で水の流れを見つめていた。



あれから三年あまり――

マックスとシェイドは夜明けとともに森に入り、朝食に戻ってきてから寺子屋へ向かう。毎日勉強するというのが、忍術を学ぶにあたっての唯一の条件だった。

勉強が昼すぎに終わると、二人は握り飯を持ってまた森へ駆け戻り、日が暮れるまで修行に打ちこんだ。

雨の日も強風で飛ばされそうな日も、二人には関係なかった。

強くなりたいという思いは誰よりも強かったが、彼らにとって忍術の修行は純粋に楽しかった。新しい技を覚えるたびに興奮し、それを何度も何度も二人で繰り返し試し続けた。素質があるうえに、誰よりも熱心に練習するため、二人は体格のまるで違う十代後半の忍術使いとも互角か、それ以上に渡り合うようになっていた。



二人が森に入っているあいだ、マヤは工房に入って職人たちと一緒に和紙を作った。

細分化された紙作りの工程を一から覚え、今では小さな漉きげたを使えば、一人で一枚の和紙を完成させることができた。

マヤの作る小さな紙は繊細な肌をしていて独特の味わいがあると工房の女主人ヘレナは、よく指で撫でてその肌触りを楽しんだ。

マヤはすっかり紙作りの魅力にはまり、今では職人たちにまじって原料となるコウゾの手入れや、刈り入れにまで参加していた。

気づいたときには、もう森の夢も見なくなっていた。

ただ、あの締め付けられるような息苦しい感覚だけは今でも生々しく覚えていたので、マヤが森に近づくことはなかった。



ある日、夕飯を食べながら、シェイドがマヤに言った。

「今度、豆坊も連れてどんぐりを拾いに行こう。大きいのがたくさん落ちてるんだ」

森に誘っているのだと、マヤはすぐにわかった。最近になって、シェイドはよく森に誘ってくる。そろそろ大丈夫だと思っているのだろう。

マヤもずっと森を避け続けているのはいやだった。用心深くなりすぎているのも自分でわかっている。できれば、どこへでも自由に行き来できるようになりたい。

でも一方で、もしまた森に近づいて、体がすくんでしまったらどうしようとも思った。今度こそ自分は一生、森に入れなくなるかもしれない。

「いやだったら、すぐに戻ればいい。行ってみようよ」とシェイドが言った。

「わかった」とマヤが慎重に頷いた。たぶん、大丈夫だ。もう怖くない。マヤはそう自分に言い聞かせた。



少し肌寒かったが、日曜日は朝からよく晴れた。

子供たちは大部屋の女将に作ってもらった握り飯を持って、早朝から出発した。

四人で森までの道を歩いていると、いろんなことを思い出した。小さな豆坊が一生懸命歩いている姿を見て、マックスが言った。

「俺たち、あの街からよくこんな所まで歩いて来たよな」

「今思えばね」とシェイドも言った。

今だから、あの旅がいかに無謀なものだったかがわかる。

あの頃より体力もあるし、忍術を学んだ分、強くなっているはずだが、もう一度やれと言われれば、無理かもしれないとシェイドは思った。いやたぶん無理だろう。森の怖さをまだなにも知らないあの頃だからできたのだ。

森が近づくにつれて、マヤの足取りが少しずつ重くなっていった。

シェイドがマヤの手を握ってやると、その手は汗ばんでいた。

彼女の表情は硬く、顔色も悪かった。

まだ早かったか……。



マヤが森に入れなくなってしまったことを、一番残念に思っていたのはシェイドだった。

忍術の修行で森に入ると、まずは森の気配を五感で感じ取ることから始める。

息を潜め、自らの気配を消す。怪物たちもまた、警戒しているのか、じっと動かずにこちらの動きを待つ。我慢比べのような静寂が続くなか、それでも微かに変化する森の気配を感じとって、忍術使いたちは怪物を追いつめる。

子供たち四人で旅をしているとき、誰よりも森の気配を敏感に感じ取っていたのはマヤだった。彼女のおかげで、幾度となく危険を回避することができた。

マヤが危険を察知するのは、彼女が怖がりだから感覚が鋭いのだとシェイドは思っていた。だが逆だ。彼女は人よりも感覚が極端に鋭いから怖いのだ。

忍術の修行を本格的に始めてから、シェイドは森の気配を感じ取ることがいかに難しいかを実感した。マヤはかなり遠くの気配まで正確に察知し、その方向には向かわないように二人に伝えていたのだ。

忍術の学びを深めるにつれて、マヤには何か特別な能力が備わっているはずだとシェイドは思うようになっていた。


挿絵

森の入り口が見えはじめると、マヤの足が完全に止まってしまった。額からは汗が流れている。彼女なりにもう一歩進もうと努力しているのがわかる。だがその一歩がどうしても重い。マヤの表情が硬くなり、今にも泣きだしそうになる。

あと一歩だけ待とうか。でもそれはマヤをさらに追いつめることになるかもしれない。シェイドは迷った。

「ほら、豆坊、でっかいどんぐりだ!」とマックスが豆坊にどんぐりを投げてやった。

豆坊は落として、転がったどんぐりがどこにいったのかわからない。

「どこ見てんだよ、ほらそこに落ちてるだろ」

豆坊は見つけられず、踏んづけてしまっていた。

「なにやってんだよ、豆坊」とマックスが笑う。

「そんなに丸いのに、足の裏で何も感じないのか?」

豆坊のぽかんとした顔を見てシェイドも笑う。泣きそうになっていたマヤの表情も和らいだ。

「ここにほら、たくさん落ちてるぞ」と言って、マックスがマヤにどんぐりをひとつ投げてやった。



その日は、久しぶりに夕暮れ時まで四人で一緒に過ごした。みんなよく笑った。

夕飯を食べてお風呂に入ったら、豆坊は疲れてすぐに眠ってしまった。枕元には今日見つけてきた形のいいどんぐりが五つ並んでいる。

明日からまた修行だとマックスたちも早めに布団に入った。

楽しい一日だったが、マヤは一人になると深いため息をついた。ダメだった。やっぱり森には入れなかった。

和紙作りを続けながら、少しずつでも忍術を学びたいと彼女はずっと思っていた。そうすればまた二人と一緒にいられる。いつか大きくなったら一緒に遠征にも出かけられるかもしれない。

でも、森に対する恐怖はまったく消えていなかった。むしろ大きくなっていたような気がする。

遠くからでも、森が生きているように、ざわざわとうごめいているのが見えた。森に入れば自分は捕えられ、あの奥にある真っ黒な穴の中に引きずり込まれてしまうだろう。

そんな恐怖に足がすくみ、少しずつ体が硬直していくのがわかった。

もう本当にダメなんだとマヤは思った。もう二度と森には近づけない。そう思った瞬間、涙がこぼれおちて、止まらなくなった。

マヤのすすり泣く声を聞きながら、シェイドもまた落ち込んだ。

自分が急ぎ過ぎたせいで、マヤにまた辛い思いをさせてしまったと、しばらく眠れず、彼女のすすり泣く声を黙って聞いていた。



冬のある日、マヤがコウゾの手入れから戻る途中、森の方から見知らぬ老人が歩いて来るのが見えた。マヤは村人たちの体型や歩き方をほとんど覚えていたので、それが遠くからでも村人ではないとすぐにわかった。荷物は少なく、行商人でもなさそうだ。

その老人――老婆だ――が近づいてくるにつれて、マヤの胸がざわざわと騒ぎだした。なにか言いようのない不安な気持ちが広がっていく。そしてじっと見つめていると、老婆の周囲の空気がめらめらと動き出し、白い煙のようなものが立ちのぼるのが見えて、マヤは思わずあっと声をあげた。



老婆はすれ違う村人たちに挨拶をしたり、ちょっとした言葉を交わしながら村の奥へと歩いていった。ゆっくりとした足取りで、マヤの通う和紙工房へと入っていった。

紙を買いにきたお客さんだろうか。隠れながらあとをつけてきたマヤは、裏口からそっと中へ入った。

老婆はヘレナの案内で、和紙を一枚一枚、丁寧に撫でながら選んでいた。紙の上に指先をそっと置いて滑らせる。その肌ざわりを楽しんでいるようにも、何か微妙な差異を感じとっているようにも見える。

マヤがその手つきに見入っていると、老婆がふいに顔をあげてこちらを見た。

ほんの小さな隙間から覗いていたので、向こうからは見えるはずがないのに、老婆はじっとマヤの目を見つめ返してきた。マヤは驚いてさっと頭を引っ込めた。イヤな汗が背中を流れる。たぶんあれは普通の人じゃないんだとマヤは思った。そして逃げるように裏口から外へ飛び出した。



その夜、マックスが老婆の話をした。

「今日来た婆さんを見たか?あれはやばいらしいぞ」

「どういうこと?」とマヤが恐る恐る聞く。

「マックス、寝る前だから」とシェイドがマヤを気にして言うが、マックスは身を乗りだし、怖い話でもするみたいに囁くように言った。

「あの婆さん、実は、とんでもなく……」

マヤも豆坊も真剣な表情で、前のめりになっている。

「頭がおかしいらしいぞ!!」とマックスが突然大声で叫ぶと、マヤがびっくりして悲鳴を上げ、豆坊も口を大きく開けたまま固まってしまった。

その反応に満足して、マックスはげらげらと笑った。

「やめなよ、二人とも怖がってるだろう」とシェイドが怒る。

「おい豆坊、大丈夫か」

マックスは笑いながら、固まった豆坊の顔を両手で挟んで、ぐにゃぐにゃと揉んだ。

マヤは胸をおさえ、呼吸を整えてから、「やめてよ、バカみたい」と怒って言った。



翌朝、四人で朝食をすませて寺子屋へ向かう途中、広場の先に老婆が立っているのが見えた。空を眺めながら何やらぶつぶつと呟いている。

「あの婆さん、昨日はモリス爺と遅くまで酒を飲んでたらしいぞ」

マックスは朝の修行のときに、他の忍術使いから老婆が宿に泊まったことを聞いていた。

「昨日の夜は、お前が怖がるから本当のことを言わなかったんだけどな」とマックスは老婆を遠目に見ながら、にやにや笑って言った。

マヤが不安そうな顔でマックスを見る。

「あの婆さんを怒らせたら、呪い殺されるらしいんだ」

マヤがはっとするのを見て、シェイドが慌てて言う。

「ただの噂だよ。そんなの、あるわけないだろう」

シェイドに睨まれたマックスが、マヤの顔を覗き込む。

「紙に呪いの文字を書くらしい」

ニヤニヤ笑うマックスを無視して、マヤはじっと老婆の方を見ていた。

マックスは冗談のつもりで言ったのかもしれないが、マヤにはそうは思えなかった。

「たぶんそれ、本当だと思う」とマヤは小さくぼそっと言って、二人の間に隠れるようにして、急ぎ足で歩いて行く。あの老婆なら本当にやりそうだ。

「どうしてそう思うんだよ?」

今度はマックスが興味深そうに聞く。「なあ、マヤ?」

「しーっ、静かにして。早く行こう」

マヤは二人を壁にして、老婆から隠れるように急いで歩いて行った。



勉強が終わると二人は森の修行へ戻り、マヤは工房へ向かった。

着くなり、ヘレナが嬉しそうに言った。

「昨日、マヤの紙が売れたよ」

マヤの作った紙はまだ売り物ではないが、棚に置かれていた小さな紙を見て、その客はひと目で気に入ったらしい。何度も紙を撫でてから、「この紙は独特の肌をしているね」と言ってすべて買っていったというのだ。

あの老婆だとマヤはすぐに思った。

「この紙を作ったのはまだ見習いの子供だと教えてたら、ぜひ会ってみたいと言ってね。そろそろ来るころだと思うけど――」とヘレナが言うので、マヤはびっくりして立ち上がった。

「あの、私……!」とマヤはどこかへ行く理由を必死に考えたが何も思いつかなかった。

ちょうどそのとき、表の扉がガラっと開くのを聞いて、マヤは咄嗟に反対側へ走った。

「マヤ?」とヘレナの声が聞こえたが、マヤは振り返らずに裏口から外へ逃げた。

あの老婆の影が揺れるのを見てしまったからだろうか?たぶんそうだ。あれは見られたら困るものだったんだ。私に秘密がばれたと思って、それで捕まえに来たんだ。もしかしたら……本当に呪い殺すつもりなのかもしれない。

ああ、そうだ。それで私の紙を買ったんだ。私の紙に呪いの文字を書くんだ……!

マヤはぐるりと大回りして、少し離れた木の陰から工房の入り口を見張った。

たぶんあの老婆は今日のうちに帰るはずだ。それまでは工房に戻るのはやめておこう。

マヤはそう思いながら入り口を見張り続けた。だがいつまでたっても表の扉は開かなかった。

早く帰ればいいのに……。そう思いながらしばらく待っていると、背中のあたりをぞわっと嫌な風が通りすぎた。

ハッとして振り返ると、老婆が立っていた。

マヤは思わず声をあげそうになった。

老婆は微笑んでいたが、マヤは何も言えず、吸い込まれるようにただ老婆の目を見ていた。目をそらしたいが、できないのだ。

「どうして私から逃げるんだい?」と老婆が訊いた。

「逃げてません」とマヤは小さな声でそう言うのがやっとだった。

老婆は笑顔だが、目だけは笑っていないようにも見える。

「私が怖いのかい?」

マヤは首を横に振り、ガクガク震える足でなんとか立ち上がった。

「あんたは、怖がりなんだろう?森が怖くて忍術の修行をやめたと聞いたよ」

マヤは何か言おうとしたが、喉がからからでうまく声が出せなかった。

「一緒に森へ行ってみようか?」と老婆はマヤの目を見て言った。

マヤは怖くて、なんて答えればいいのか分からなかった。目をぎゅっと閉じ、むりやり老婆の視線を切ると、何も言わずに走りだした。

老婆が追いかけてくるような気がして、振り返らずに必死に走った。

疲れて息があがるまで走り続けると、マヤはようやく集会所とは逆の方角だと気付いた。

よりによってこっちは森だ……。

どうして森に向かって走っていたのかはわからない。でもここで立ち止まると老婆に追いつかれるような気がして、怖くて止まることも、振り返ることもできなかった。

マヤは、突然足が重くなるのを感じた。それでも逃げようとしたら、足がもつれて転んでしまった。顔をあげると、森の入り口が見えた。

すりむいた膝から血が流れ落ち、早く逃げなきゃと気持ちばかり焦るが、足が思うように動いてくれない。またあのぞわぞわと寒気のするような気配を感じて顔を上げると、老婆がゆっくりと歩いてくるのが見えた。

マヤは必死に立ち上がろうとしたが、やっぱり足が動かない。

老婆がゆっくりと、だが確実に近づいてくる。

マヤは全身の力を振り絞ってようやく立ち上がると、よたよたと歩き出したが、またすぐに足がもつれて転んでしまった。

「来ないで!」

マヤはもう泣いていた。

「あっちへ行ってよ!」

大声で叫んだつもりなのに、かすれた小さな声しか出せない。

なおも老婆がゆっくりと近づいてくる。

マヤは怖くて震え、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。

近づいてくる老婆の顔にはもう笑顔はなく、何の表情も浮かんでいなかった。

ただじっとマヤを見据えたまま、ゆっくりと近づいてくる。

マヤには、老婆の全身からまたあの白い煙がゆらゆらと立ちのぼっていくのが見えた。

老婆がマヤに訊いた。

「本当のことを言ってごらん。あんたには見えるんだろう?」

マヤは何か言おうとするが、口がパクパクと動くだけだ。

「あんたには、この影が見えるんだろう?」

老婆は無表情のまま、じっとマヤを見つめていたが、少しだけ首を傾げた。

すると突然、下から突き上げるような強い衝撃が地面を走り抜けた。

マヤは確信した。この老婆は普通の人じゃない。

そして彼女は今、私を殺そうとしている。

マヤはなんとか立ちあがった。石のように固まった足を引きずるようにしながら、必死に逃げた。

涙が止まらず、もう、声をあげて泣いた。

遠くから低い地鳴りのような音が迫ってきて、突然、地面の下から何かがぐいと突き出てきた。牙のように鋭く尖った巨大な何かが、目の前に現れたのだ。

マヤが目を見開き、別の方へと進むと、そこにまた巨大な牙が現れた。

「どうして私なの!やめてよ!」

冷たい目をした老婆は何も言わず、その顔はひどく青白く見える。

マヤの逃げ道を阻む壁のように、大きな牙が立ちはだかり、とうとうマヤの逃げ道はなくなった。

振り返ると老婆がすぐそこに立っていた。不気味なぐらい表情がなく、冷たい目をしている。

もうどこにも逃げられない。

足元の地面がまた震え始める。

出てくる……。次のやつで私はつぶされる。

地面がひび割れ、足で感じた震動が身体全体に伝わると、マヤはぎゅっと目をつぶって、頭を抱えるようにして絶叫した。

「もうやめてよ!もう、いじめないでよおおおお!!」

一瞬、固く閉じたまぶたの上を閃光が走り抜け、バリバリと何かが音をたてた。

それは今までに聞いたことがないぐらい大きな音だった。

外じゃない、とマヤは思った。

今のは中からだ。自分の頭の中で何かが破れるような音が聞こえたのだ。

それは初めての感覚だった。

マヤがゆっくり目を開けると、視界が眩しいぐらい明るかった。

自分を中心に、光の道が真っ直ぐ二つ走っていくのが見えた。

その光は音を立てて巨大な牙を突き破って進んでいた。

マヤは何が起こったのかわからなかった。

地面から突き出た巨大な牙は、光の道に突き破られてひび割れ、やがて音を立てて崩れ落ちていった。

光は小さな炎となって、バチバチと音を立ててまだ燃え続けている。

呆然としたマヤが顔をあげると、老婆がすぐそばに立っていた。

「気分はどうだい?」

老婆は穏やかな表情をしていた。

「ずいぶん楽になっただろう?」と少し笑った。

不思議なことに、マヤはもう彼女のことを怖いとは思わなかった。

「力を外に逃がしてやらないと、あんたのような子は、じわじわと恐怖がふくらんでいくんだよ」
老婆はそう言って手を差し出した。

マヤはその手をそっと握って立ち上がった。

「もう大丈夫。開いてあげたからね」

「開いて……?」とマヤは聞いた。

「見てごらん」

老婆に手を引かれ、マヤは森の入り口を見た。

森は静寂に包まれていて、もううごめくものは何もなかった。

「あんたのは特別に固かったよ」と老婆が言った。

「私はバージニア。術師で長老会の一人だよ」

「バージニア……」

「術師にはね、術師になれる子供がわかるんだ。あんたには特別な力がある。そこいらの誰もかなわないぐらい、とびっきり強い力がね」

マヤは老婆の顔を見て、ただじっとその話を聞いていた。

「だから、もう泣くのはおよし」

マヤは言われるがまま、こくりと小さく頷いた。

「あんたにその気があるのなら、私が少しずつ術を教えてあげよう。次からは、私が来ても隠れたりせずに、挨拶をしにおいで。わかったかい?」

マヤはもう一度、小さく頷いた。

「……はい」

老婆は優しい笑顔で言った。

「いい子だ」



これがマヤとバージニアの出会いだった。

この日から二人の交流が始まり、泣き虫だった少女は、術師として忍術の道を歩んでいくことになる。

バージニアの教えは時に理不尽で、不可解で、いくら考えてもわからないことも多かった。だがマヤは、途方に暮れながらも辛抱強く、少しずつバージニアの教えを自分のものにしていった。

もちろん、怖がりな性格がすぐに消えてなくなったわけではなかったが、バージニアが村にやってくると、マヤは誰よりも先に彼女を見つけて、駆けつけていった。



終わり

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